野間大坊は愛知県美浜町にある、真言宗豊山派のお寺。
本尊は阿弥陀如来、山号は鶴林山。
野間大坊には、源氏にまつわる歴史や伝説が多数あり、近年ではパワースポットとして歴史ファンなど訪れる人が増えているようです。
野間地区は、平安時代の武将源頼朝や義経の父、源義朝の最期の地で、境内にお墓もあります。
知多の観光でまだ訪れたことがなかったため、今回は「良い気」をいただきに行ってきました。
- 野間大坊の駐車場
- 野間大坊の境内
- お砂踏みでご利益を
「知多四国八十八カ所霊場51番札所」の野間大坊をご案内します。
野間大坊駐車場と案内図
◆野間大坊の案内図
これは野間大坊の正面駐車場に掲げられた案内図です。
正面の駐車場だけでも30台はとめられそうな広さがあり、さらに大きな駐車場が北・東・西にあります。
全部で200台くらいは収容できそうな広さです。
野間大坊を目指すと、国道247号を走ることになりますが、野間大坊の標識で東に折れると、この西駐車場にまず行きつきます。
ここからでも徒歩1分で境内に入ることはできますが、正面駐車場が最も便利です。
野間大坊の境内
◆野間大坊の鐘楼堂(しょうろうどう)
鎌倉5代将軍藤原頼継公の寄進した梵鍾が掲げてあります。
この中にある梵鐘は建長2年の銘があり、尾張地方最古の鐘として国重要文化財に指定されているものです。
◆野間大坊平康頼公の供養塔
平康頼は尾張の国司をしていた時に、義朝公のお墓が荒れていたのを見て水田を寄進。
僧侶を常駐させたと伝えられています。
後の源氏の子孫が、その恩に報いるために供養塔を建立した。
◆野間大坊本堂
野間大坊は、鶴林山大御堂寺が正式名称。
現在の建物は3度の火災などで宝暦四年(1754年)に鎌倉様式のとって再建されたもの。
向かって右側に真言宗の開祖、弘法大師、左側に新義真言宗の開祖、興教大師をお祀りしている。
◆源頼朝公(みなもとのよしとも)の墓
源義朝は鎌倉幕府を開いた源頼朝、平家を滅ぼした源義経の父。
平治の乱(1160年)で関東地方へ落ち延びる途中、この地野間を治める家臣の元へ身を寄せた。
ところが裏切られて命を奪われてしまう。
のちに義朝公の菩提を弔うために、そのお墓にお花の代わりに木太刀をお供えする習わしとなった。
その後いつしか「願いを叶える武将源義朝」として、願いをしたためた木太刀をお墓に供えるようになったということです。
木太刀が高く積み上げられています。
供える木太刀とせんこう、絵馬が置かれています。
◆野間大坊、織田信孝の墓
織田信長の三男の織田信孝の墓もあります。
◆血の池
平治の乱で敗れ、野間に落ち延びた源義朝公が、謀反を起こした家来により殺されます。
この池で首を洗ったとされます。
国に変事が起こると池の水が赤くなると言われている そうですよ。
境内を回って物思いにふけって。。。
歴史に詳しい方なら時間がかかるかもしれませんね。
お納経、御朱印は客殿へ
境内西方向に「客殿」があり、そこでお納経や御朱印のお願いをします。
道中には、本四国八十八ヶ所各礼所のお砂が下に埋まっている。
ここ歩けば本四国八十八カ所をおまいりしたご利益をいただけるとなっています。
(51番礼所から88番礼所)
1番から50番札所のお砂は、客殿中庭だそうです。
◆野間大坊・客殿手前の護摩祈祷の案内、人生儀礼早見表
◆客殿入り口
「客殿」は豊臣秀吉公の晩年の居城「伏見桃山城」の一部を寛永年間(1624年から43年)に移築したもの。
愛知県重要文化財指定の客殿建築。
本尊は開運延命地蔵菩薩(秘仏)源頼朝公が幼少の頃から拝んでいた地蔵尊。
野間大坊には、たくさんの詣り客が訪れています。
- 尾張三十三観音霊場8番礼所
- 東海三十六不動21番礼所
- 南知多七福神めぐり2番大黒天札所
でもあるのですね。
私のような物珍しさだけのおまいりでは、ご利益もいただけないでしょう。
また日を改めて知多半島神社仏閣巡りの機会をつくれたらと思います。
では、気をつけてお出かけくださいね。
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愛知県知多郡美浜町大字野間東畠50 野間大坊
愛知県知多郡美浜町大字野間東畠50 野間大
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