三保の松原は、海岸に松が生い茂り、富士山を望める風光明媚な景観が素晴らしいところ
。
(松並木の端と海岸の交差するところに雪化粧の富士山が見えます、肉眼なら雄大な景色です)
富士山世界文化遺産の構成資産に登録されたことで、広い駐車場が整備されています。
また、歴史や文化遺産の展示スペースが駐車場に設けられるなど、訪れる観光客の増加に急ピッチで整備が進んでいました。
2016年12月現在の今は、平日でも観光案内所で手厚く案内をしてくれ、静岡観光のメインにもなりそうな人気ぶりでした。
駐車場からはほど近く、土産物店の間を通って道が整備されていますよ。
静岡県三保の松原駐車場と観光案内所
三保の松原には入り口にほど近いところに、無料の大駐車場が完備されています。
いったい何台停められる?というほどの広さがあります。
駐車場は三保の松原入り口なので、わかりやすいです。
「神の道」という両脇を松の木で挟まれた木の板をつなげた道が三保の松原まで続いています。
その左側の道路が、駐車場への道でもあります。
駐車場に停め、三保の松原方面に向かうとすぐに、観光用のプレハブの建物があります。
観光案内所とともに、三保の松原の歴史がわかるもの文化的価値のある資料などが置いてあります。
ここで最初に知識を得てもいいですし、まずは三保の松原と海岸へ行ってみるのもいいですし。
三つある施設のひとつ、羽衣伝説を解説した施設です。
駐車場の付近にある、近隣の地図と観光名所案内地図です。
日本平、日本平動物園、清水港、久能山東照宮などの案内があり、地図で三保の松原との位置関係もわかります。
現在地は天女伝説の「羽衣の松」のすぐそば、海岸は目と鼻の先ですが、潮の香りはしません。
ただ足元を見ると、灰色の砂が混じっているのがわかります。
駐車場から歩きはじめると、まもなく足元は砂ばかりになっていきます。
以前はこの食事処と、お土産物店4件ほどに囲まれた舗装された場所が、駐車場で、狭かったのですが、今はここは停められないようになっていました。
三保の松原、羽衣の松を観に、大勢の観光客が来るようになりましたが、食事処は写真の一件のみです。
これから付近に多くの食事処が建ち並ぶのだと思われます。
三保の松原の歴史・文化的価値のある資料
三保の松原の駐車場にあるプレハブ施設には、三保の松原の歴史や文化的価値のある資料が展示されています。
大正時代の絵葉書になっていた、「羽衣の松」の白黒写真や、
同じく絵葉書になっていた、雪化粧の富士山の写真。
当時の写真はそのまま美しい姿ですが、松が貧相な感じもします。
現在の様子と比較してみるのもいいですね。
現在は ↓↓
今は巨大で太い幹に成長しています。
抱えられないほどの太さです。
三保の松原の歴史
資料館では、三保の松原の歴史も詳しく解説されています。
古代から景勝地として多くの人に和歌が詠まれ、万葉集などに残されています
江戸時代には歴代の将軍の庇護を受けて、松並木の伐採は禁じられていました。
しかし明治になって一般に払下げられ、松の伐採が進んだということです。
大正11年に名勝地に指定されて、絵葉書になるなど観光地として全国的に有名になっていたそうです。
三保の成り立ち
三保の成り立ちは、長さ6キロに及ぶ砂嘴(さし)、安倍川からの土砂と、久能山東照宮のある有度山の南斜面からの大量の砂礫(されき)が南に流されて、三保島が形成されました。
三保島から半島の先端にある駒越までは徒歩で渡ったと、戦国時代の紀行文「富士見道記」にあって、浅瀬が形成されたことがわかっています。
その後の江戸時代には完全に陸地が形成されていたものの、道の整備はされていなかったので、御穂神社(みほじんじゃ・三保の松原への入り口にある神社)への参詣は対岸から船で渡っていたそうです。
書き残された古い資料などもあり、いにしえからの歴史に想いをはせてみました。
以前訪れたときのもここからの景色が素晴らしかったです。
2009年に旅行したときの三保の松原と雪化粧の富士山の様子⇒「三保の松原(静岡県清水区)日本新三景からのぞむ雪化粧の富士山」
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コメント
静岡市三保松原保全活用推進室 みほナビ管理担当の増田と申します。
ご来場いただきありがとうございました。三保に何度も足を運んで頂きうれしく思います。
写真掲載している、はごろも情報ひろば「みほナビ」内の展示物の写真なのですが、こちらは写真撮影禁止となっております。表記が分かりずらく申し訳ありませんでしたが、画像の削除をお願いいたします。
来年3月にみほナビに代わる新たなビジターセンターが開館予定です。
またのお越しをお待ちしております。
ご指摘どうもありがとうございました。
たいへん申し訳ございませんでした。
画像は削除いたしました。
またの機会に訪問させていただきます。