「日本昭和村」は2018年平成30年の4月8日から、「ぎふ清流里山公園」に名称変更しました。そして大幅なリニューアルをして、入場無料になりました!
絹糸を作る蚕は、「お蚕(かいこ)さん」と呼ばれて、里山では生活を共にしていました。
子供のころ、暮らしの中で当たり前に同居していたこともあったので、懐かしい。
蚕を、見て触ることができるのが「かいこの家」。
日本昭和村に入って最初に建っている家です。
玄関の前には蚕がつくった繭(まゆ)から糸を引いて、生糸にする糸巻きが再現されていました。
この糸で着物の反物を織るのですが、生糸を引いたことなどないので、さっそく体験させてもらいました。(無料)
お蚕さんが旺盛な食欲で桑の葉を食べ続けるのも見られました。
かいこの家にはいると、どのように蚕が成長して絹糸になるのかが展示されています。
また昭和20~30年代の日本の家庭が再現されていて、なつかしさいっぱいで見てきました。
かいこの家「日本昭和村」の生糸ひき
蚕が成長してさなぎになるときに作る白い繭は知ってますが、そこから生糸になるまでを見られました。
小さい糸車を回すことができますよ。
力をいれなくても、軽くとってを回転させるだけで、お湯の中の繭の端からでたほそーい糸が上にあつまって一本の糸になっていきます。
繭一個の糸の長さは7~800メートルほどあるそうです。解説の方がちょうどいらしたのでお話しを聞けました。
蚕を触ってOK・やわらかくてかわいい
虫が特別嫌いでなければ、蚕を触ってみて。
つぶらな瞳?で一心不乱に桑の葉を食べ続けています。
手にとった蚕は誕生して23日目の蚕で、薬指くらいの大きさでした。
お蚕さんをさわってみました。やわらか~い。
あと一週間ほど食べ続けると、たべるのをやめて繭を作りはじめます。
手のひらにものせてみました。かわいい!
かわいいお蚕さんの食べる音が「ムシャムシャ」「シャワシャワ」っと聞こえます。
ちょっと音小さいですが、相方はお蚕さんを初めてみてさわって、感動真っ只中。
蚕を飼って、生糸にして、それを売っていた時代は、昭和の30年代くらいまではけっこうあったのですね。
その昔は、着物の生地にまでして売っていた時代も長かったのですよね。
お蚕さんをみたことがない人は、ぜひ行ってみてね。
かいこの一生
蚕は脱皮を繰り返して5令といわれるところまで大きくなる、だいたい30日。
そのあと繭をつくって蛹になります。そのあと蛾になって交尾をして、卵を何十個も生んで一生を終えます。
という成長記録が、かいこの家の玄関をはいったたたきに展示されてます。
生糸を生産していた「養蚕業」がさかんだった地域では、まさに生活の一部として蚕を飼っていたのですね。
繭を広げて平坦にまとめたものは、木綿の布団の中身の一番外側に広げて入れ、布団綿の一部になっていたそうです。
絹で覆うと一段と温かいのですよね。
他にこの真綿で、団扇もありました。
かいこの家・日本昭和村にある生活用品や玩具
昭和のくらしはこんな風だったという様子が一目瞭然にわかるのが「かいこの家」。
たたきを上がって畳敷きの部屋があり、奥の部屋も畳敷き。
懐かしい生活用品が並んでいます。
日本の夏に欠かせなかった蚊帳。
テレビや民芸品の飾りなど、居間はこんな風でしたね。
東京オリンピックの壁飾り・1964年
こたつあんかなど。炭をおこして使った経験を、うっすら思い出します。
不便で懐かし思い出ですが、当時はそれが最先端なのです。
縁側(廊下)には自由に遊んでいいという、知恵の輪、ケン玉などが。
縁側に腰かけて、まったりと庭を眺めるもよし、さわやかな風を感じることができる「かいこの家」でした。
電気器具がまだテレビラジオくらいしか普及していなかった昭和の時代の普通のくらしが体験できます。
昭和の暮らしや商店街が再現してある「やまびこ学校(昭和パビリオン)」へがぜひ行ってみてね!⇒「日本昭和村のやまびこ学校(昭和パビリオン)昭和の暮らしにタイムスリップ(岐阜県美濃加茂市)」
岐阜県美濃加茂市の「日本昭和村」の駐車場・入場料などのことは⇒「日本昭和村・駐車場・入場料・昭和銭湯「里山の湯」・お得な年間パスポート(岐阜県美濃加茂市)」
日本昭和村 岐阜県美濃加茂市山之上町2292番地1
岐阜県美濃加茂市山之上町2292番地1 日本昭和村
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