明智光秀の出生地としてまたその後30年間を過ごしたとされる「明智荘(あけちのしょう)」を訪れてみました。
光秀ゆかりの地としての最有力候補といえる「明智荘」は岐阜県可児市にあり、「明智城址」は「名鉄明智駅」から徒歩15分ほどの距離です。
明智一族とゆかりの深い寺院「天龍寺」が近くにあるので寄りました。
戦国武将でも人気者の光秀が、2020年NHKの大河ドラマで主人公でした。
付近は多くの訪問者を迎える準備に余念がない様子でした。
(「明智城」は「明智長山城」の別名あり)
2019年12月24日に訪問したときの記録です。
- 駐車場
- 明智城址(明智長山城跡)
- 天龍寺(明智一族ゆかりの寺院)
について詳しくおつたえしますね。
「麒麟がくる ぎふ 可児 大河ドラマ館」は以下のように開催されました。
明智城址を散策してきた動画です。
明智荘散策のための駐車場
岐阜県可児市の光秀ゆかりの地は、「明智城址」と「天龍寺」。
「臨時駐車場」がもうけてあるのでそこにとめます(無料)。
臨時駐車場は「ふれあいパーク・緑の丘」のふもとの駐車場です。
◆明智城址へ行くための臨時駐車場(岐阜県可児市・70台)
ここは「岐阜花フェスタ記念公園」のすぐ南の位置、県道381号線沿いで交差点の東南です。
看板や横断幕(明智光秀生誕の地)が出ているのでわかりやすいと思います。
観光案内ではここに駐車するようにと案内されています。
◆明智城址へ行くための臨時駐車場(岐阜県可児市・70台)
臨時駐場の利用時間:9時から16時30分
明智城址付近には駐車場がないです。
そしてここに「明智城址案内マップ」が備えてあり、そのマップはとても詳しのでたすかります。
◆明智城址案内マップ・臨時駐車場に備え付け
また明智城址付近には自動販売機はありません。
おトイレはありますよ。
明智城址への徒歩
臨時駐車場から明智城址まではおよそ1キロの上り坂。
所要時間は徒歩で15分から20分です。
団地のなかの道を歩くのですが、路上駐車禁止の看板がいくつもあります。
閑静な住宅地なので静かに歩きました。
明智城址につくと、散策用のマップが置いてあり、名鉄明智駅・明智城址・天龍寺・駐車場との関係がわかります。
◆明智城址の入り口で入手した「明智荘散策マップ」
明智城址散策
「明智城址」の入り口に到着すると、さきほどの散策マップより詳しい「明智城跡散策路マップ」が掲げられているのでそれを頼りに。
現在地のすぐそばにトイレがあります。
現在地から左方向の道に 「馬防柵」「明智城跡碑」「展望台」さらに進むと「見張り台」方向に出る道になります 。
右方向に行くと「大手門」へ出る道です。
◆明智城址散策のはじまり地点
すべて周ろう思うと、坂道なので 2時間ぐらいかかるのではと。
明智城と明智城址
◆土岐桔梗の家紋と明智城・明智光秀公
明智城は「長山城」とも言われ、康永元年(1342年)明智次郎長山下野守、頼兼により開城され、11代明智光秀まで215年、弘治2年(1556年)斎藤義竜により落城。
◆明智城址の石碑
可児市観光協会の解説によると、「当時の城郭には天守等の派手な建物はなく、周囲に土塁などを廻らしたものが多いが本城にはそれらの遺構がほとんど残されていない。
明智城は弘治2年、斎藤義龍に攻略され明智氏は落城とともに滅んだとされる。
一族のうち明智光秀は一門の再起を期してここから脱出、諸国流浪の後織田信長に仕えることとなる。」
周りを見渡すと、確かに建築物の形跡と思われるものはなく、見晴らしのよい風景と地面の落ち葉が広がるところです。
◆明智城址の展望台
すぐそばに展望台があり、明智光秀の育った「明智荘(あけちのしょう)」の地域が見下ろせます。
明智荘はここから西へ約1 km、東約3 km、正面の国道21号の高架からこの頂の範囲だそうです。
ここで光秀は落城までの期間過ごしていたのですね。
本丸付近の馬防柵と逆茂木
◆馬防柵
◆逆茂木
約10年前に設置された、馬防柵と逆茂木。
◆七つ塚
また明智城址の近くにある「七つ塚」は、弘治2年(1556年)斎藤義龍の軍勢の攻略により落城戦死した明智軍と七武将を葬った塚といわれています。
ここから奥にいくと、水の手曲輪、西大手曲輪、見張り台などを見ることができます。
このあと私たちは「大手門」の方に行ってみました。
明智城址「大手門」
散策路マップを見た出発点にもどり、右方向になる坂道を下っていくと、「大手門」に出ます。
角ばった石が敷き詰められ、山を開いた道にの周りは何もありません。
下ること数分で「大手門」へ。
◆明智城址大手門
ここを通ってお城へ行き来していたのですね。
このあとも下りは続き、この坂は「桔梗坂」と名付けられています。
◆大手門から明智城址公園への道
◆桔梗坂入り口
桔梗坂の入り口の左手には、「明智城址公園」とその駐車場があります。
◆明智城址公園とその駐車場
この駐車場は10台くらいとめられるのですが、一般の観光客は先に紹介した「臨時駐車場」を利用することに。
ここに明智城の名所、散策経路と時間などが書かれているので、こちらから明智城址へ行くとよりわかりやすいのかなと思いました。
明智荘(あけちのしょう)について
この地域を明智荘(あけちのしょう)といっていますが、そういう地名はないのだそうです。
桔梗坂上り口付近の解説によると、
「現在明智荘という地名はないが、かつては現在の可児市北東部から御嵩町西部にかけて、「明智荘」という荘園が存在していた。
明智光秀が生まれた時代に明智一族が一円の権益を保っていたかどうかは明らかではない。
ただし現在瀬田地区の狭い地域に、寺院が集中していることや、字名に「東屋敷」「西屋敷」「大屋敷」などの名が残ることから有力な武士層の存在をうかがわせるという説もある。」
ということです。
さて、ここから光秀と縁の深い「天龍寺」までは徒歩数分です。
「臨時駐車場」から「明智城址」へ来たら、「大手門」を経て「天龍寺」へと向かいます。
◆明智城址、桔梗坂下から天龍寺への道
天龍寺(明智一族と関わりが深い寺院)
◆天龍寺(曹洞宗)
天龍寺には明智氏歴代の墓所があることと、180センチを超える日本一大きな明智光秀の位牌があります。
◆天龍寺・明智氏歴代の墓所
明智氏歴代の墓所は、境内の駐車場のそばの奥まったところにありました。
お詣りさせていただき、境内を拝見。
◆天龍寺の門と本堂
日本一大きいといわれるお位牌は、本堂内にあるのではですが、住職さん不在のようだったのでこの日は拝見していません。
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」が始まれば、訪問者が増えるはずで、拝見できるようになっているのではと思います。
◆天龍寺の本堂の前
裏庭の手入れをされていた、たぶん「おくりさん」と思われる方がにこやかに挨拶してくださいました。
最初「臨時駐車場」がわからず、天龍寺の駐車場に入ってしまい、ちょっと恐縮。
境内に修繕の重機や人が入り、庭の手入れも行き届いてすてきなお寺でした。
2019年12月24日訪問。
岐阜県可児市瀬田1238−3 明智城址
岐阜県可児市瀬田1238−3 明智城
岐阜県可児市瀬田1242 天龍寺
岐阜県可児市瀬田1242 天龍
明智光秀出生地(恵那市明智町)・大河ドラマ/明智城~光秀ゆかりの地を散策
明智光秀の出生地として知られる岐阜県恵那市明智町。
光秀ゆかりの地は、地元の案内によると7か所あります。
「日本大正村」の周辺でもあるので、合わせての散策がおすすめ。
出発地は明知鉄道の明智駅または「大正村」の駐車場から。
光秀のゆかりの地を巡るだけでも、徒歩で4~5時間はかかると思います。
坂道もあるので、歩きやすい靴で。
まずは、光秀のゆかりの地を紹介します。
- 光秀公産湯の井戸
- 土岐明智城(多羅砦)
- お牧の方墓所(光秀公の母堂)
- 天神神社(光秀公学問所)
- 白鷹城址(明智城址)
- 光秀公お手植えの楓(八王子神社)
- 光秀公供養塔(龍護寺)
大正村駐車場から最も遠いのが白鷹城址(明智城址)で約1.5キロあります。
出発地点の「明智駅」と「大正村駐車場」についても紹介しますね。
- 場所:「大正ロマン館」の一階
- 期間:2020年1月11日(土)から2021年1月11日(月)
- 時間:9時から17時
- 入館料:400円(中学生以下無料)
恵那市明智町の光秀公ゆかりの地
◆大正浪漫館にある光秀ゆかりの地マップ
「大正浪漫館」(大正村にある観光案内所兼レストラン兼お土産店)にある光秀ゆかりの地の案内マップには5か所が案内されています。
この5か所だけでもいいですし、「まち歩きマップ」にあるのを見ると、7か所なのですべて行ってみるのもよいですね。
私たちは出生からたどってみることにしたのですが、体力の都合で4か所巡るので精一杯でした。
以下巡った順に紹介しますね。
1)光秀公産湯の井戸
「光秀公産湯の井戸」は大正村の駐車場から徒歩10分ほどのところ、小高い山をしばらく登ったところです。
井戸に差し掛かる手前に、門のように倒れかけている白樺があり、これから明智光秀のゆかりの地へ踏み入るのだと感じさせます。
産湯の井戸付近の坂道は、枯葉が積もって地面はふかふか、そして狭い道です。
◆明智光秀公産湯の井戸
明智光秀は大永6年(1526年)3月 10日にここで生まれた。
当時千畳敷には明知城があったと言われていて、この井戸が光秀産湯の井戸とされています。
◆千畳敷にあった明知城の砦の解説
ここ千畳敷には明知城の砦、「落合砦」があったそうで、この砦の東を走る南北街道を一望でき、いざとなると城山の各砦と呼応して前線基地となるところ。
物見・のおろし台などもあり戦略上の一つの拠点であったと考えられるとのこと。
2)土岐明智城(多羅砦)
産湯の井戸のほど近くにある「多羅砦」。
このあたりがそう、とわかる範囲で分かる人にはよくわかるところ。
広場にもなっていて、見晴らしがよいところです。
戦国ものに詳しい人には、ゾクゾクするところかもしれません。
小高い山の上で展望はとてもいい。
大正村の全景と、その向こうに見える「白鷹城址」が見えています。
千畳山弘法大師の大きな像もあります。
そして2020年の明智光秀ブームを盛り上げるかのように、山に夜イルミネーションがともるようです。
◆土岐明智城の山肌にあるイルミネーション
確か♡(ハート)AKECHIとあったような。。。
大正村の方面からはきらびやかに輝いてみえるのでしょうね。
3)光秀公手植えの楓(八王子神社)
◆明智光秀お手植えの楓(八王子神社境内)
お手植えの楓がある八王子神社は、大正村駐車場から東へ約300m。
光秀が建てたとされる柿本人麻呂の社の前にあります。
◆光秀お手植えの楓がある八王子神社の鳥居
八王子神社の鳥居をくぐり階段をあがり、さらに進んでいくと本殿があります。
◆光秀お手植えの楓がある八王子神社の本殿
現地の解説を見てみると、
「八王子神社 には天照大神の八人の王子(王女三人、王子五人)を祀ってある。
平安時代の天歴三年(949年)に創建された、1000年を超える歴史のある 産土神(うぶすなかみ)。
現在の社殿は延宝四年(1676年) 時の領主遠山半九郎伊次による造営。
県重要文化財指定」とのことです。
◆天照大神の八人の王子(王女三人、王子五人)を祀ってあるお社(八王子神社)
「八王子神社は、天照大神の 胞衣(えな)を納めた山、胞衣山が恵那の地名の始まりとされていて、
我が国神道の大本とも言えるこのこの地方にふさわしい社格を持っている。」とも書かれています。
本殿の前では来週迎える2020年お正月の用意がすすんでいました。
◆八王子神社本殿前の門松飾り準備中
光秀お手植えの楓を見に来ただけだったのですが、由緒正しい八王子神社の歴史、恵那の地名の始まりなどを知り、気持ちが引き締まります。
4)光秀公供養塔(龍護寺)
光秀公の供養塔は龍護寺という臨済宗妙心寺派のお寺にあります。
八王子神社から100mほど東です。
◆明智光秀公のお墓、龍護寺
遠山家の墓所で、慶長元年(1596年)に建立された由緒あるお寺。
◆明智遠山氏、土岐明智氏系譜概要と龍護寺の由緒
◆光秀のお社の前
光秀の肖像画、桔梗紋が掲げてあります。
系譜をたどって、お詣りをして。
◆龍護寺の門と石碑
◆龍護寺の境内の枯山水の庭
お庭には枯山水の庭園があり、静寂で空気の澄んだところでした。
割愛したゆかりの地
この日割愛することになったのは、以下の三か所。
- お牧の方墓所(光秀公の母堂)
- 天神神社(光秀公学問所)
- 白鷹城址(明智城址)
一日かけてじっくりと巡りたい名所です。
出発地点の明智駅と大正村駐車場
光秀ゆかりの地を巡るには、明知鉄道の明智駅または大正村の駐車場からになります。
明知鉄道の明智駅の様子です。
◆明知鉄道の明智駅、駅舎
◆駅長さんの焼き芋
駅長さんが焼き芋を管理しているようです。
◆光秀のゆかりの地の石碑
明智駅の前には光秀公ゆかりの地の石碑と出生地ののぼりが。
駅舎内にまち歩きマップやゆかりの地の紹介もあります。
日本大正村の無料駐車場
車なら日本大正村の駐車場にとめて出かけましょう。
◆日本大正村の無料駐車場とのぼり
大きなのぼりには「明智光秀出生の地」、「村長竹下景子」とありますね。
時間にゆとりがあれば、出生から順に巡るのがよいかと。
効率よく巡るなら、左回りまたは右回りにぐるっと巡るのがよいですよ。
2019年12月23日訪問。
◆大正村の入場料。駐車場など
明知鉄道の明智駅 所在地:岐阜県恵那市明智町駅前町
岐阜県恵那市明智町駅前町
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