「天空の城」、「雲海の城」の呼び名もある岐阜県郡上市の郡上八幡城は、木造で再建されたお城としては最も古い建物です。
お城の中の床を歩くと、ギシギシっとしめった音がするのですが、それは古い木造建築ゆえの音だそうで、
白亜の外観だけを見ると鉄筋?のような力強さを感じます。
若葉の季節に行きましたが、もみじが多く秋の紅葉の季節も素晴らしい郡上八幡城が見られそうです。
お城の中といえば、歴史ある展示物の武具やお宝も素晴らしいのですが、
印象に残るのは、人柱となった民話や、初代城主の娘の山内一豊の妻となった千代の夫を出世させる賢妻の心得などの歴史物語。
郡上八幡城のりりしくも美しい姿をとどめるのは、これらの民話が重なるからでしょうか。
人柱およしの不思議な力でお城が存続
◆郡上八幡の観光キャラクターの「およしちゃん」
郡上八幡の観光キャラクターの「およしちゃん」は、白い振袖を着たとってもキュートな女の子。
彼女が郡上八幡城の改修のさい人柱になった「およし」です。
人柱およしの物語として残っている逸話はいくつかあるそうですが、
その中で最も希望に満ちた願いを込めたお話しとして語り継がれているお話しを紹介します。
およし物語:郡上八幡城の人柱伝説
かつて、郡上八幡城の改修が行われることとなった時代。
山頂の険しい地形が工事を難しくさせ、石垣が何度も崩れ、柱がうまく立たず、多くの問題に直面していました。
そのため、人柱をたてるという決断が下されました。
この重大な役目に選ばれたのは、神路村(現在の大和町神路)の吉兵衛という百姓の娘、17歳の美しいおよしでした。
彼女が選ばれた理由は、普請奉行の耳に入ったある噂。
大木を伐り出して運ぶ際に、村の男たちでさえ難儀する中、およしは不思議な力で大木の運搬を手助けし、城下まで運んだと言われていました。
この「不思議な力を持つ娘」は、人柱として完璧だったのです。
およしの選出に、村人や彼女の家族は深い悲しみを覚えました。
しかし、お城を守るため、およしは覚悟を決めました。
8月末(旧暦)の丑三つ時に、吉田川で身を清め、真っ白い振袖を身にまとい、城の下に身を委ねたのでした。
おかげで、郡上八幡の城下町は、大きな自然災害に見舞われず、美しいまま存在しています。
これは、守り神となったおよしがこの地を護っているからかもしれません。
天守の近くの桜の丸には、彼女を祀る社があり、麓の善光寺にもおよし観音堂が存在します。
そして、毎年8月3日には「およし祭」が郡上おどり縁日として行われています。
※注意:人柱伝説は史実に基づいていなませんが、地域で伝えられる民話であり、さまざまな逸話が含まれています。
・・・・・このお話を知って、およしちゃんが郡上八幡で現代でも活躍している意味がわかりました。
おなじよっちゃんとしてはうれしい限りです。って、美しさが全く違うけど。
これは場内にあるおよしの掛け軸と改修の様子。
およしちゃんのポスターの可愛さにつられて、天空の城、郡上八幡城へいってみたいと思ったわけです。
夫を出世させる賢妻の心得がわかる
◆山内一豊 千代の像
さて、郡上八幡に伝わる歴史物語に、山内一豊の妻千代のお話があります。
夫を出世させた妻の代名詞ともされている山内一豊の妻千代。
千代はこの郡上八幡城の初代城主の娘だそうです。
千代の一生
千代は幼少期に父、遠藤盛数を病で失いました。
母とともに郡上を離れ、多くの困難を乗り越えながら成長し、後に山内一豊と結婚しました。
山内一豊は、その時代の名だたる武将たち、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった戦国の三英傑に仕えた偉大な武将。
彼の功績は多く、最終的には24万石を持つ初代土佐藩主となるまでの出世を果たしました。
この彼の成功の背後には、妻千代の尽力がありました。
内助の功・賢妻のエピソード
◆千代の像
特に「馬揃え」のエピソードは、千代の支えが如何に大きかったかを示すものです。
一豊が重要な馬揃えに頭を悩ませていた時、千代は秘密にしていた10両を差し出します。
このお金で購入された駿馬は、織田信長の目にとまり、それが山内一豊の出世のきっかけとなったと言われています。
この感動的なエピソードを讃え、一豊と千代の銅像が城山公園(本丸の跡地)に建立されており、多くの人々がその物語を偲んで訪れます。
賢妻の心得10か条とは
その縁で郡上八幡城内には、千代の心がけていた賢妻としての知恵を、余すところなく書き残して掲示してありました。
網目のあらいざるに色紙に書き付けてあります。
これは「千代の知恵 賢妻の心得 その七 時には強い態度や弱弱しい姿を」と書いてあります。
◆山内一豊の妻、千代の知恵
こうした賢妻の知恵が、お城の中のあちこちに掲示されています。
全部で10か条、すべて読んではいませんが、なるほど~っと思える言葉が並んでいます。
夫を流浪の身から土佐の城主にまで出世させた千代さんは、
「内助の功」の見本のような人、戦前の教科書には賢妻のモデルとして採りあげられていたそうですよ。
帰ってから調べてみたのですが、賢妻の心得10か条というのは、
その1・・・肝心なことは 夫の口から言わせる
その2・・・日頃から夫をおだて暗示にかける
その3・・・やりくりは 工夫と芸術的センスで
その4・・・朗らかにふるまい家庭をなごやかに
その5・・・夫の上司やその妻といい関係を築く
その6・・・夫の部下に細やかな心配りを
その7・・・時には強い態度や弱々しい姿を
その8・・・さりげない言葉で夫を誘導しよう
その9・・・機転を利かせてすばやく行動
その10・・・金は夫の一大事にこそ使え!
内助の功とはこうした夫の力を出させるための心得というわけですね。
出世だけに限らず、夫婦円満にもいいかもしれないですねぇ。
そのほか郡上八幡城内の様子
◆郡上八幡城
郡上八幡城のお城の中の様子としては、「人柱およしの物語」と「賢妻の心得」が印象的ですが、
ほかにも歴史好き、お城好きなら外したくない見ものもあります。
郡上八幡城の歴史
郡上八幡城は戦国時代末期の永禄2年(1559)、遠藤盛数(もりかず)が砦を築き、
稲葉貞通(さだみち)、遠藤慶隆(よしたか)の興亡を経て大普請され、
寛文7年(1667)、六代城主遠藤常友(つねとも)の修復によって幕府から城郭として認められました。
◆遠藤氏の甲冑、井上氏の甲冑、青山氏の甲冑
その後、井上氏・金森氏が相次いで入部。
宝暦騒動で金森氏が改易された後、青山氏によって治められました。
現在の城は、昭和8年(1933)大垣城を参考に再建され、木造4層5階建ての天守閣などは郡上市重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されています。
写真の甲冑は左から、遠藤氏の甲冑、井上氏の甲冑、青山氏の甲冑です。
昔のお城の地図や、模型なども展示されています。
そのほか郡上八幡城の所蔵品の、合戦絵図、関ケ原の戦いで徳川家康から賜ったという馬の首につける弓具を飾りものに仕立てたもの、
青山家の系図、掛け軸、鷹の金屏風などが展示されています。
郡上八幡城・新緑まつり
毎年5月上旬から下旬にかけては、「新緑祭り」が開催されています。
以前私たちが行った新緑まつりでは、お城入り口のところで「新緑コンサート」が開かれていましたよ。
子供が楽しめる、紙芝居、記念缶バッヂプレゼント、和太鼓、城下町ではマーケットイベントなどが土日祝に開催されています。
郡上八幡城はどんなお城?およしの人柱/賢妻の心得/民話と伝説/岐阜・まとめ
郡上八幡城には歴史伝説とともに、民話や歴史物語が残されています。
現代そびえる天空の城は昭和初期に木造で建てられたもので、城郭と認められてからは350年以上も経過しています。
今こうしてその歴史や知恵が、私たちに語りかけるものを大切にしたいと思いました。
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