郡上八幡城、天空の城とか雲海の城とかの呼び名もある岐阜県郡上市の名城は、木造で再建されたお城としては最も古いそうです。
お城の中の床を歩くと、ギシギシっとしめった音がするのですが、それは古い木造建築ゆえの音だそうで、白亜の外観だけを見ると鉄筋?のような力強さを感じます。
若葉の季節に行きましたが、もみじが多く秋の紅葉の季節も素晴らしい郡上八幡城が見られそうです。
お城の中といえば、展示物の武具やお宝もよいのですが、人柱となった話や初代城主の娘の山内一豊の妻となった千代の夫を出世させる賢妻の心得なども掲示されて、歴史にうとい私も印象にのこりました。
人柱およしの不思議な力でお城が存続
郡上八幡の観光キャラクターの「およしちゃん」。
白い振袖を着たとってもキュートな女の子。彼女が郡上八幡城の改修のさい人柱になった「およし」です。
人柱およしの物語として残っている逸話はいくつかあるそうですが、その中で最も希望に満ちた願いを込めたお話しとして語り継がれているお話しを紹介します。
昔昔、郡上八幡城の改修の命がときの城主より出されました。
大和の神路村という地域からも、大木をきりだして運ぶことになりました。
吉兵衛の家の前でぱったりとその大木が動かなくなり、困り果てていたところ、
吉兵衛の娘で村一番の美人と評判の「およし」が大木にかけよって手を触れると、
ぴくりとも動かなかった大木が動き始め、およしが手を放すと止まり、手を触れると動きだしました。
そのため仕方なくおよしは男衆と一緒に木材をお城まで運ぶことになりました。
不思議な力をもつおよしの名は城内にもひろまりました。
お城の改修工事は難航を極めていて、石垣が何度もくずれる、柱がうまく立たないといった問題が幾度も起こっていました。
そのため「人柱」を立てる必要がある、と決定されました。
昔は橋や城を築くとき、人柱をたてることでより頑丈な建物となると信じられていました。
人柱には若い娘や不思議な力を持つものが特によいとされていたため、およしに白羽の矢がたったわけです。
およしは17歳と若く不思議な力を持ち合わせています。
父母や村人は反対したそうですが、おかみの命令には逆らえません。
そのときおよしは言いました。
「みなさん悲しまないで。私は消えてしまうんではなくて、お城の護り神になるのよ。これから先ずっと先までこの郡上の里を見届けていくわ」
吉田川の清流で身を清め、真っ白の振袖と帯をまとったおよしは、人柱としてお城の下深くに眠りました。
郡上八幡の城下町が、大きな自然災害もなく今も美しくあるのは、およしがこの地を護り続けているおかげなのかもしれません。
・・・・・このお話しを知って、およしちゃんが郡上八幡で現代でも活躍している意味がわかりました。
おなじよっちゃんとしてはうれしい限りです。って、美しさが全く違うけど。
これは場内にあるおよしの掛け軸と改修の様子
夫を出世させる賢妻の心得とは
夫を出世させた妻の代名詞ともされている山内一豊の妻千代、千代はこの郡上八幡城の初代城主の娘だそうです。
その縁で郡上八幡城内には、千代の心がけていた賢妻としての知恵を、余すところなく書き残して掲示してありました。
網目のあらいざるに色紙に書き付けてあります。
これは「千代の知恵 賢妻の心得 その七 時には強い態度や弱弱しい姿を」と書いてあります。
こうした賢妻の知恵が、お城の中のあちこちに掲示されていて、全部で10か条すべて読んではいませんが、なるほど~っと思える言葉が並んでいます。
夫を流浪の身から土佐の城主にまで出世させた千代さんは、「内助の功」の見本のような人、戦前の教科書には賢妻のモデルとして採りあげられていたそうですよ。
帰ってから調べてみたのですが、賢妻の心得10か条というのは、
その1・・・肝心なことは 夫の口から言わせる
その2・・・日頃から夫をおだて暗示にかける
その3・・・やりくりは 工夫と芸術的センスで
その4・・・朗らかにふるまい家庭をなごやかに
その5・・・夫の上司やその妻といい関係を築く
その6・・・夫の部下に細やかな心配りを
その7・・・時には強い態度や弱々しい姿を
その8・・・さりげない言葉で夫を誘導しよう
その9・・・機転を利かせてすばやく行動
その10・・・金は夫の一大事にこそ使え!
内助の功とはこうした夫の力を出させるための心得というわけですね。
出世だけに限らず、夫婦円満にもいいかもしれないですねえ(自分はできてないとこが多いですが・・・。
そのほか郡上八幡城内の様子
郡上八幡城のお城の中の様子としては、「人柱およしの物語」と「賢妻の心得」が印象的ですが、ほかにも歴史好きお城好きなら外したくない見ものもあります。
郡上八幡城は戦国時代末期の永禄2年(1559)、遠藤盛数(もりかず)が砦を築き、稲葉貞通(さだみち)、遠藤慶隆(よしたか)の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)、六代城主遠藤常友(つねとも)の修復によって幕府から城郭として認められました。
その後、井上氏・金森氏が相次いで入部。宝暦騒動で金森氏が改易された後、青山氏によって治められました。
現在の城は、昭和8年(1933)大垣城を参考に再建され、木造4層5階建ての天守閣などは郡上市重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されています。
写真の甲冑は左から、遠藤氏の甲冑、井上氏の甲冑、青山氏の甲冑です。
昔のお城の地図や、模型なども展示されています。
そのほか郡上八幡城の所蔵品の、合戦絵図、関ケ原の戦いで徳川家康から賜ったという馬の首につける弓具を飾りものに仕立てたもの、青山家の系図、掛け軸、鷹の金屏風などが展示されています。
2016年平成28年の5月1日から22日までは、新緑祭りのイベントが目白押しです。
私たちが行った4日は、お城入り口のところで「新緑コンサート」が開かれていましたよ。
子供が楽しめる、紙芝居、記念缶バッヂプレゼント、和太鼓、城下町ではマーケットイベントなどが土日祝に開催されています。
郡上八幡城新緑祭りの詳細はこちらです→郡上八幡城新緑まつり2016
郡上八幡城 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 郡上八幡城
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(よっちゃん)
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