岡本一平さんは漫画好きの人なら誰でも知っている有名人。
大阪万博の「太陽の塔」を製作した岡本太郎さんのお父さんで、日本初の漫画家。
その岡本一平さんの晩年過ごしたところが、岐阜県美濃加茂市で、昭和21年から亡くなるまで過ごされた居宅があります。
「糸遊庵(しゆうあん)」というそうです。
岡本一平の過ごした家「糸遊庵」で一平を偲ぶ
「糸遊庵」の玄関です。「太田宿中山道会館」のすぐとなりにあります。
ここには一平の作品も残され、仕事をしていた机や道具なども展示されています。
岡本一平の漫画家としての活躍は、明治時代後期から始まります。
新聞紙上でマンガに短い文章を添えた「漫画漫文」を掲載して大好評となりました。
「総理大臣の名前は知らなくても、その名を知らない者はいない」とまで言われるようになったそうです、すごいですね!
昭和20年戦火を逃れて現在の加茂郡白川町三川に疎開し、この家で人間の感情や生活をこだわりなく 五・七・五で表現する「漫俳」を提唱し、 昭和21年には現在の 美濃加茂市古井町下古井に転居しました。
終戦直後の暗い世の中に活気をと「漫俳」や地方公演などの活動を始めた矢先、彼は脳溢血のために帰らぬ人となってしまいました。
しかし今もなお「漫俳」や彼の絵画作品などはこの地域の人々に大切にされ伝えられていますよ。
二階にあがると、一平が当時仕事をしていた様子が再現されています。
「漫風」という雑誌やかるた(?)、数々の残された作品です。
おおらかで、やわらかで、大胆な描写です。そして楽しい。
俳句が絵の中に数多くのこされています。
岡本一平さんのことは、アルバムを見つつ、しっかりと足跡をたどっておきたいです。
厳しくつらいご時世のときも、明るく楽しいひと時を作り出してくれていたのですね。
奥様は小説家の岡本かの子さん。
岡本一平さんの活躍が、現代漫画の源流だったとわかる貴重な資料が残っているので、漫画好きの人はぜひ行ってみてね。
岡本一平さんの「糸遊庵」は中山道会館のすぐ隣にあります。
居宅の窓からは、中山道「太田の渡し」の跡が見えます。
木曽川沿いの散策も素晴らしい景観ですよ。
岐阜県美濃加茂市太田本町3丁目3?31「太田宿中山道会館」
岐阜県美濃加茂市太田本町3丁目3−31 太田宿中山道会館
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