名古屋市西区の町並み保存地区になっている四間道(しけみち)の北に位置する「五条橋」、木造の橋に似せて架け替えられていますが、名古屋の400年を超える歴史に深くかかわっている橋です。
五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には、堀川が開削された慶長15年より古い慶長7年の銘がちゃんと見てとれます。
この日は美術大の学生さんと思われる女性二人が、熱心に五条橋を写生していました。
五条橋は名古屋の歴史の始まりを知る
名古屋市は現在226万人の人口、日本でも横浜市大阪市に次いで大きな都市となっています。
名古屋は今から約400年前、徳川家康が名古屋城築城の際に、清洲城下の人・物・神社・お寺まで、そっくり名古屋に移転させた「清洲越し」から始まっています。
今の愛知県清洲町、清洲城下は低湿地帯なので、水攻めの心配もあったと考えられています。
名古屋城を築城するための材料は、川を使って運ぶため「堀川」を人工的に開削、その堀川にかかる橋が五条橋です。
西区の那古野町から中区の丸の内にかかる橋です。
清州の五条川にあった木造の橋をそのまま名古屋に移したので、名称はそのままとしたそうです。
昭和13年に木造の橋に似せて作った、RC造の三径間桁橋です。
神様もまつられています。
御影石の親柱、高欄、擬宝珠、石張舗装が落ちついた印象になっています。
五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には、堀川が開削された慶長15年より古い「慶長7年」の銘が刻まれていて、肉眼で確認できます。
川沿いに降りていけるようになっていたので、橋の土台のレンガを見ると、こうしたつなぎ目にも歴史を感じます。
五条橋から堀川を南に向いて立ったところの景色です。
名古屋の物流をにない、発展の基礎になった堀川と五条橋、名古屋の歴史名所の一つです。
五条橋からの観光・名古屋城名駅も近い
五条橋のそばには、観光名所が案内された道標があります。
名古屋城や名古屋駅方向も徒歩で行ける範囲。
中山道の垂井方面、東海道の熱田方面、歴史のある場所だと再確認。
またすぐ南には町並み保存地区の四間道(しけみち)がありますから、ぜひ散策してみてください。
案内板もあり、歩きやすいですよ。
五条橋は、名古屋市西区那古野一丁目及び中区丸の内一丁目にかかっています。
名古屋駅から最も近い観光エリア「ものづくり文化の道」の一部でもあります!
町並み保存地区の四間道(しけみち)の様子です⇒「町並み保存地区の四間道(しけみち)浅間神社からの町並み散策(名古屋市西区)」
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