「なごやネット車旅シニアVlog」ゴロマルです。
還暦を迎え、妻のよしえと共にDIYでコツコツ仕上げた愛車で、全国の歴史スポットや温泉を巡っています。
今回は名古屋から国道23号線バイパスをのんびりと走り、愛知県豊川市へと向かいました。
目的地は「豊川海軍工廠(とよかわかいぐんこうしょう)平和公園」。
太平洋戦争末期、この地で起きた大空襲の記録を辿り、平和の尊さを改めて心に刻むための旅です。
「東洋一」と称された巨大軍需工場:豊川海軍工廠の概要

1939年(昭和14年)に開庁した豊川海軍工廠は、当時「東洋随一」「東洋一の武器工場」とその規模を誇った巨大な軍需工場でした。
- 規模: 敷地面積は約200ヘクタール。現在の豊川市の成り立ちに深く関わっています。
- 主な生産品: 航空機や艦船用の機銃、弾丸、双眼鏡などの光学兵器。
- 従業員数: ピーク時には約5万6千人が従事。その中には全国から集められた学徒や女子挺身隊も含まれていました。
これほど広大な施設が愛知にあり、日本の軍事力の中枢を担っていた事実に、歴史の重みを感じずにはいられません。
豊川市平和交流館:語り継ぎボランティアとの出会い

園内にある「豊川市平和交流館」では、工廠の歴史を深く学ぶことができます。
今回は運良く「豊川海軍工廠語り継ぎボランティア」の方に園内をご案内いただきました。

一次証言に基づいたお話は、教科書で読む歴史よりもずっと重く、胸に響くものでした。丁寧な解説、本当にありがとうございました。
館内の展示内容は、主に以下の通りです。
- 豊川海軍工廠の設立背景と巨大な組織構造
- 1945年8月7日の大空襲の克明な記録
- 学徒動員と女子挺身隊の過酷な日常
- 戦後の跡地利用と、平和を願う市民の歩み
現存する戦争遺構:DIY視点で見る「知恵と構造」
車中泊仕様のバンを自作する私にとって、現存する遺構の構造は非常に興味深いものでした。
当時の最先端技術と、安全を確保するための必死の工夫が随所に凝らされています。
旧第一火薬庫(市指定史跡)

火薬の保管場所だったこの建物は、土を被せた小山のような外観です。
- 二重壁構造: 鉄筋コンクリートの部屋の内側に板壁を設けています。壁の間の中空層が屋根の換気塔に繋がり、土塁の基部にある通気口から空気が抜ける仕組みです。湿気や熱を嫌う火薬を守るための徹底した室内換気には、DIYのヒントになるような緻密な設計思想を感じました。
旧第三信管置場(市指定史跡)

弾丸の起爆装置である信管を保管していた場所です。

- 爆風を逃がす屋根: 躯体は頑丈なコンクリート造ですが、屋根の骨組みはあえて「木造」になっています。万が一の爆発時に屋根が先に吹き飛ぶことで、建物の全壊を防ぎ、周囲への被害を最小限に抑える設計です。
- セメント瓦の採用: 屋根には焼成ではなく「乾燥」だけで製造できるセメント瓦が使われていました。物資が不足する中での生産性の追求が見て取れます。
- 熱対策: 電球交換は屋外の通気口から行い、室内側はすりガラスで密閉。電球の熱が保管室に入らないよう工夫されていました。
また、当時の街路灯がすでに地下配線化されていた点など、軍事施設としての先進性には驚かされるばかりです。
防空壕跡

園内に残る防空壕は、素掘りの穴に木材で天井を組み、その上に土を盛っただけの簡素なものでした。

コンクリートの頑丈な施設との対比に、末期の逼迫した状況が透けて見えます。
1945年8月7日:繰り返してはならない大空襲の惨状

1945年8月7日、豊川は地獄と化しました。B29爆撃機124機による猛攻。
わずか26分ほどの間に、500ポンド爆弾3,256発がこの狭いエリアに集中投下されたのです。
空襲のタイムライン
- 10:06:空襲警報発令。「豊川海軍工廠に向かう模様」との通報。
- 10:10:B29の大編隊が蒲郡上空を通過。
- 10:13:爆撃開始。高角砲陣地が応戦するも、先頭機から次々と爆弾が投下される。
- 10:39:爆撃終了。B29が離脱。工場の建物の約9割が破壊され、壊滅。
犠牲者は2,500人から2,700人に上り、その多くがまだ10代、20代の若者たちでした。
犠牲者の分類(工廠関係者中心)
|
分類 |
概要 |
犠牲者数(割合) |
備考 |
|
動員学徒 |
12歳以上の中高生・大学生 |
452人 (17.9%) |
立命館専門学校生4名など全国から動員 |
|
女子挺身隊 |
14〜25歳未満の未婚女子 |
数百人規模 |
石川県出身52名の犠牲(殉難おとめの像) |
|
全体合計 |
工廠関係者・周辺住民含む |
2,670〜2,724人 |
20歳未満が54.8% を占める悲劇 |
学徒動員と女子挺身隊:過酷な労働と母の記憶
戦局が悪化する中、労働力の10%を占めたのが学生や若い女性たちでした。
- 動員学徒: 男子学生を中心に旋盤などを操作し、人間魚雷「回天」の潜望鏡部品や特殊潜航艇の精密パーツ加工に従事しました。
- 女子挺身隊: 弾薬の充填や梱包、信管の取り付けといった危険な作業を担当。時には作業者を決めるための「決死隊クジ」まで行われたといいます。
彼らは24時間三交代制で働き、食事は麦飯と漬物、時にはイナゴで飢えをしのぐ日々。
朝5時に起床し「海ゆかば」を斉唱して出勤する軍隊さながらの生活でした。
私の母も14歳の時、横須賀海軍工廠で女子挺身隊として働いていました。
母が語っていた「いつもお腹が空いていた」「空襲が怖くてたまらなかった」という言葉。
防空壕の跡を目の当たりにし、当時の若者たちの心細さが痛いほど伝わってきました。
訪問ガイド:平和公園へのアクセスと周辺スポット
実際に訪れる方へのアドバイスですが、ここは公共交通機関だと駅から徒歩約40分と少し距離があります。
駐車場が無料(約60台)で完備されているので、車(特に私たちの愛車のような自作キャンピングカー!)での訪問が一番便利です。
アクセス・基本情報
- 車: 東名「豊川IC」または「豊川為当IC」から約10分。
- 入園料: 無料。
- 開園時間: 9:00〜17:00(火曜休園、年末年始休み)。
周辺寄り道スポット
- 豊川稲荷: 公園から約3km。門前町での「いなり寿司」は外せません。
- 三河国分寺跡・天平の里資料館: 奈良時代の史跡です。資料館にある「鬼瓦」の展示は、建物の構造好きにはたまらない美しさですよ。
おわりに:車中泊の夜に平和を願う

夕暮れ時、重い歴史を胸に平和公園を後にしました。
今夜は近くの「道の駅とよはし」へ向かい、そこで車中泊をさせていただきます。
かつてこの場所で、私たちと同じ、あるいはそれ以上に若い世代が懸命に生き、そして命を落とした。
今の私たちが享受している穏やかな日常は、こうした多くの犠牲の上に成り立っているのだと痛感しました。
シニア世代として、この記憶を次の世代に伝えていくことが私たちの役目なのかもしれません。
DIYした暖かい車内で、よしえさんと一緒にお茶を飲みながら過ごす静かな夜。
この何気ない平和に感謝しつつ、今夜は筆を置きたいと思います。
次回のブログでは、「道の駅とよはし」での車中泊の様子や、豊川周辺の美味しいグルメをご紹介します。どうぞお楽しみに!
スポンサーリンク

コメント